蒜山の悲しい歴史とは?

まず、私が好きな戦国時代でいうと目立った話がない。有名な戦(いくさ)や城、有名な武将が見当たらない。

岡山の有名な武将といえば「北条早雲(伊勢新九郎)」や「宇喜多直家・秀家親子」、高松城の水攻め(られ)で有名で名を高松の蓮に残した「清水宗治」、柔術をかじる人は「竹内久盛」、関ヶ原、冬の陣で活躍した「明石全登」、個人的な推しとしては水野勝成の家老になった「三村親成」あたりで、残念ながら蒜山出身はいない。

戦の目的が資源(特に、金、銀山や鉄、肥沃な土地、交通の要衝≒経済)の取り合いだと考えるなら資源に乏しい環境に有力な武将が生まれなかったり、城が誕生しなかったのはある程度合点がいく。

ただ、今は蒜山というブランドと観光資源があるのでそろそろ鳥取が攻めてきて真庭市長あたりが脚光を浴びるかもしれない。いや、「とっとり・おかやま新橋館」で同盟を結んでいるから大丈夫か。

それまで比較的に平和だった蒜山に、1935年日本最大の軍事演習場が作られた。そこで国際条約で禁止されていた毒ガスの発射実験などが行われたという話がある。海外から指摘されたら毒ガスでなく「火山ガス」(蒜山は火山)といい逃れる気だったのかもしれない。当時は「蒜山なんかに行くな」と囁かれていた。

現在の平和なイメージとは真反対だが注意深くみると今も演習用のトーチカや地下壕が遺る。平和なリゾート地に遺るそれらは、まるで、陽気な南の島にある日本軍の昔の兵器の違和感に似ている。

特筆すべき歴史はこんなものか。wikipediaに量質ともに勝ったか。そういやwikipedia情報だが、かなり前(100万年前〜40万年前)火山が噴火していたらしい。

まとめるとガス臭い火山時代のあと、比較的平和が続き、きな臭い(ガス臭い)演習場になり、また、平和なリゾート地になった蒜山。このまま平和が続くことを祈る。

参考

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/121176