手元に一つの備前焼がある。
子どものころ、祖父の家に備前焼はあったが好きになれなかった。
なんだか武骨だし、古臭いし、酒臭かった。
それから十数年たった今、この備前焼を愛でている。
子どものころ食べられなかった「わさび」が、今では大好きなように。
(「わびさび」と「わさび」をかけたわけではない。)
備前焼は古墳時代から平安時代あたりに生産された須恵器が基になっているらしい。
そのころから続いていることもすごいが、未だに創意工夫を試みている作家に頭が下がる。
自分なら、もう昔の人がやりきったと考えて、昔の人のマネをするだけにとどまっていると思う。
ある程度うまくいったら、成長をやめていると思う。
この備前焼を見るたびに、思い出そう。「何か新しいものを求め続けよう。」と。
しかし、こうも思っている。
「この備前焼割らないようにしよう。小遣いが減ったから、もう新しいものは求められない。」と。
なんの話だっけ?