【岡山市北区】「妹尾」はどう読む?岡山市中区の「赤田」はどう読む?由来は歴史にあり?

どの都道府県にも読みにくい地名は存在するだろう。今回は、岡山で読みにくい地名を紹介する。あなたは、妹尾、赤田、井原など正しく読めるだろうか?

妹尾

「いもお」と書いて「せのお」と読む。初見の人は読みがたいと思われる。

中世に備中瀬尾城(現在の妹尾に所在)を本拠としていた「瀬尾(せのお)氏」の瀬尾兼門が平治の乱(1160年)で敗れて賊軍になり、時の鳥羽上皇によって瀬尾姓が禁じられた。そのため、瀬尾氏の子孫が名乗ったのが当て字の「妹尾」。(賊軍になった瀬尾兼門の妹のおかげで子孫を残すことができたため「妹」尾なのか?)

地名もこの姓の改名に合わせて「妹尾」に変えたのか?

または、改名した「妹尾氏」の「妹尾太郎兼康」の灌漑用水整備や殖産方面における功績により、地名を「妹尾」と改名したという説もある[2]。

鳥羽上皇によって瀬尾姓が禁じられた500年後の江戸時代に岡山城下にあった「瀬尾町」(現在の岡山市北区清輝本町)も「妹尾町」と改名されている[1]。これは、当時の岡山藩に尊王論の思想の影響があったからだろうか。

赤田

「あかだ」か「あかた」と読みたくなるが、「あこだ」と読む。赤田の町内会のホームページに由来があった。

「あか」ということばに水辺または低湿地という意味があり、岡山市を流れる旭川との関係で水辺に田があったからという説です。また、赤田は砂利が多くて耐水性のない土質のため、畑作が盛んでした。特に人参の産地として知られていました。その人参の赤色から赤田という説です。[3]

さて、なぜ赤を「あこ」と呼ぶのか?

ヒントは、同じく赤を「あこ」を呼ぶ有名な地名にあると思う。それは、「赤穂(あこう)」だ。昭和より前は「赤穂」を「あかほ」と読んでいたらしく、あの有名な「赤穂義士」も「あかほぎし」と読んでいたらしい。その後、「あかほ」と「あこう」が混在しはじめ、昭和35年の4月から赤穂市の広報誌の名前を「あかほ」から「あこう」に「地名、名前等の名称は発音通り書くのが正しい」という理由で変えている[4]。それ以降、「あこう」が完全に定着したのだろう。昭和35年ならまだ割と最近の話だ。

話を「赤田」に戻そう。「あかだ(た)」より「あこだ」の方が断然言いやすい。こちらもどこかの時点で発音通りの読みに変わったのか。

井原市

知っている人は、「いばらし」と読むだろう。自分は岡山出身ながらずっと「いはらし」と呼んでいた。恥ずかしながら、「茨城」も「いばらぎ」とよんでいた。(正しくは、「いばら」)

地名の読みは難しい。

さて、同樣に「伊原木」岡山県知事はどう読むのか?いは…いば……らき…らぎ……

※「伊原木」の読みの正解は「いばらぎ 」と読む。

蒜山

ひるぜん」と読む。これは全国区なのでだいたいの人が読めるのではないか。しかし、初見の人はほとんど読めないだろう。「蒜」が読めないだろうし、山を「やま」や「さん」と読まず「ぜん」と読ませるのは難度が高い。

山を「やま」や「さん」と呼ぶように通達が当時の政府から出されたが山奥で届かなかった可能性があるが、今思うのは、「ひるやま」や「ひるさん」でなくてよかったと思う。「ひるやまヨーグルト」なんて嫌だ。

「蒜」って何?なぜ「ぜんと呼ぶのかは、「蒜山の名前の由来は?「蒜」って何?「山」を「せん(ぜん)」と読むのはなぜ?」を参照してください。

参考

[1] 瀬尾町 コトバンク
[2] 妹尾 Wikipedia
[3] 町内紹介 赤田町内会
[4] 赤穂は「あかほ」、忠臣蔵でも「あかほぎし」 では、いつから、なぜ「あこう」に? 神戸新聞