あなたは、山羽虎夫(やまばとらお)を知っているだろうか?
1904(明治37)年5月7日、日本初の国産自動車を走らせた岡山県人である。無論、製造したのも彼だ。
5月7日は語呂合わせで、コナモンの日になっているが日本経済を牽引する自動車産業の映えある日として休日にしてもいいくらいだ。
GWも延びるしいい案だと思う。
山羽虎夫が自動車を作るようになった経緯が岡山らしい(?)
1898年に初めて自動車なるものが輸入されると、岡山の資産家の森房三氏、楠健太郎氏らが岡山市と高梁市の50kmを結ぶ乗合自動車を計画。
(輸入)自動車の購入を検討するも、高額であることを理由に購入を断念。
1903年に大阪の鉄工所に国産自動車の製造を依頼するが、遅々として進まず、しびれを切らし同年地元の山羽虎夫に依頼する。
そして、依頼から半年で山羽虎夫は自動車を完成させる。
早い段階で岡山市と高梁市を結ぶ乗合自動車を計画(なぜ高梁市?岡山市〜倉敷市じゃないのか?)し、大阪の鉄工所に依頼して1年も経たずに「しびれを切らし」山羽虎夫に依頼した岡山の資産家。
作ったこともないものを作ると承諾して半年で作った山羽虎夫。
なんともせっかちというか目的のためなら節操がないというか。ただ、このスピード感は素晴らしい。今の中国のようだ。
その後、山羽虎夫の自動車がどうなったのか情報がない。
もし、山羽(ヤマバ)が自動車会社を作っていたら?
今ごろ、創業者の名前「トヨダ」から濁音を外した「トヨタ」のように「ヤマハ」という名の自動車会社が岡山にできたかもしれない。
それは、雇用を促進し、企業を呼び寄せ、岡山市の人口を100万人以上に変えていたかもしれない。
それは、岡山県民の所得を増加させ、出生率を高止まりさせたかもしれない。
もし、山羽虎夫の会社に投資する人がいたら…県が補助金を出していたら…
歴史に「もしも」はない。だが、正しい決断や支援があれば、必ず将来は変わる。行動しなければ、将来は変わらない。種を蒔かなければ将来収穫することはできないのだ。
「『常に今が山場(ヤマバ)』と思い行動すれば将来を変えることができる」と山羽(ヤマバ)虎夫は歴史を通して語りかけているのではないだろうか。
特に政治家は怠けてはいけない。

