【岡山・一宮】吉備津神社 ~ 結局、どうなった?桃太郎 vs 鬼

鬼退治に行った桃太郎。そのあと、桃太郎と鬼は結局どうなったのだろう?

一説では、桃太郎のモデルは吉備津彦命で、鬼のモデルは温羅とされる。温羅は退治されたあと、首をはねられ曝されたが唸り、犬に食われどくろになっても、釜の下に埋められても唸り続けたという。

吉備津彦命が困り果てた頃、温羅が夢枕に立ち、「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの竈殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん」[1]という。

つまり、「吉備津彦命のごはんを(温羅の)妻に作らせて下さい。いいことがあるなら普通に釜を鳴らし、悪いことがあるなら釜を荒く鳴らして教える」と言い、「私はあなたの使者となる」と言っている。

さて、「結局どうなった?桃太郎vs鬼」の結論だが、温羅(鬼)は、桃太郎(吉備津彦命)の仲間(配下)になったということになるが、どちらも童話や語り継がれ現在でも「生きている」のだからどちらも「勝ち」ともいえる。私なんか死んだら3分くらいで忘れさられるだろう。

鬼といったらすぐに裏切るイメージがあるが、釜で吉凶を占う鳴釜神事は現在も吉備津神社の御竈殿で行われている。言った以上続けるこの温羅(鬼)の忠誠心や「有言実行」力はすさまじい。あなたはこの鬼(温羅)の実行力に負けてないだろうか?3日坊主になっていないだろうか?少なくとも、あなたに潜む楽な方へ誘う鬼に負けないことを吉備津神社で祈って誓ってはどうだろうか?

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【参考】
[1] 吉備津神社 鳴釜神事